不注意優勢型ADHDってどんな感じかというと、思考につっかかりがない感覚
こんにちは、不注意優勢型ADHDのアミメです。
今回はADHDってどんな感じなのか、健常者の方にも分かりやすく伝えます。
ただこちらは私の感覚なので、他のみなさんはどうなのか分かりません。
ADHDといえば、ガス欠の車やスピードを出しすぎるスポーツカーなどと例えられますが、当事者としてはちょっと違うなという感じがします。
確かに「分かる」という感覚でもあるんですが、ガス欠の車やスポーツカーだからといって、衝動的に動いたりケアレスミスする理由はないんですよね。
だからこれはADHDの例えとしてはいまいちなのかもしれない、と思っています。
「じゃあ、実際のADHDの感覚ってどういうものなの?」というと、「思考につっかかりがない感じ」です。
健常者の方の思考が原っぱだったら、ADHDの思考は草もあまりはえていない荒涼とした大地です。
健常者の原っぱには時折花が咲いていたり湖があったりしますが、ADHDの荒涼とした大地は時折石ころが転がっているだけです。
「何言ってるんだ?」と思うでしょ。私も何を言っているのか分からなくなりました。
何がいいたいかというと、ADHDは認知からの発想が苦手なんです。
たとえば道を歩いていて、向かい側からガムを噛んでいて、サングラスをかけていて、刺青をガンガンに彫っているゴツイ人が、オラつきながら歩いてきたとき。
一般の方は、(あんなに周囲を威嚇して歩いてる。もしかしたら絡まれるかもしれない)と思って、できる限り視界に入らないように歩くことが多いでしょう。
だけどADHDはそういうことに気がつかない。サングラスをかけていてオラつきながら歩いていてきている人がいるのは理解はしている。だけど理解はしていても、「絡まれるかもしれない危険!」という思考には発展しないんです。
もしかしたら失敗するかも、危ない目にあうかもという物事が目の前に現れたとき、健常者の方は、危険を感じて止まることができます。
何かを視認する→予感を感じる→危険だ!という思考ができる。
この思考の発展がADHDには難しい。
何かを視認する→珍しいことだが、絶対ないとはいえないだろうとスルー→トラブルに巻き込まれるor大きなミスに発展する
このパターンが非常に多いです
あくまでADHDの私から見た感想なのですが、健常者の方って、自分にかかわることにすごく敏感なんですよね
緑豊かな原っぱで暮らしていて、美しい花に喜び、肉食獣がいる湖には近づかないことで身を守っているように見えます。
対してADHDは緑すくない荒涼とした大地で、周囲に気をひくものがあまりない世界です。危険な毒蛇や毒のある虫は、大地に完全に擬態して目立ちません。
だからこそちょっとでも珍しいものを見るとスポーツカーのように飛んで行ってしまいます。
そして「珍しいものを見つけた」と飛んでいった先で、擬態した毒蛇をうっかり踏んでしまうというのが、ADHDです。
例えで出していてあれですが、怖い人が歩いてきても気にしないかどうかはADHDの症状によって異なります。ADHD全員が、怖い人に率先して近づくタイプではありません。
あくまで分かりやすい例としてだしたのであって、厳密にはADHDの症状とはちょっとズレています。
またサングラスをかけてオラついて歩いていても、実は気のいいひとというのもたくさんいます。第一印象で決めつけず、分け隔てなく話せるのも、ある意味ではADHDの長所ではあるんでしょうね。
ちなみにアミメは、ケアレスミスは多いうえに、先入観で人を決めつけがちの、どっちつかずの中途半端なタイプのADHDです。
話は戻りますが、認知ってかなりホルモンに依存している気がします。
専門家ではない人間の適当な意見なのですが、岩を見て、危険だと思えるのは、ホルモンが関係していると思うんですよね。
ドーパミンが受け取りそこねるADHDは、岩を見ても、それは岩としか見れない。
しかし健常者は岩を見ると、危険を知らせるホルモンが分泌される、不安を感じよく注目すると、岩は高い崖の上にあり、すこしの衝撃でこちらに転がってそうなことに気づける。
ADHDは、そういう思考のつっかかりがひどく少ないタイプです。
そのため日常生活をおくるために、注意深くつっかかりを探します。頑張ればつっかかりは見つけられるので、しようと思えば健常者と同じような生活をおくれます。
ただしそれは頑張りのうえにあることなので、非常に疲れる。
効率が落ちるし成果もあげにくい。
さらに疲れがとりきれていないとき、思考がまともに働かないときなど、つっかかりを見過ごし失敗してしまう。
ADHDは思考のつっかかりが少ない障害。
個人的にかなり適確な表現だと思うのですが、どうでしょうか。