首のみじかいキリン

ADHDの就活状況やらいろいろ

正論なんてクソくらえ。あの人の意見に耳をかさなくていい理由。

タイトルから勘違いされそうですが、アミメはどちらかといえば、感情よりも論理を重視する人間です。

ただ論理を重視しても、人間関係では別にいいことってないんですよね。

 

反論の隙なく言いかえしたら悪者扱いされるし。

黙っていたら、どこから反論すればいいのか、頭を抱えたくなるほどむちゃくちゃな意見を聞かせられるし。

とりあえず相手の意見は置いといて、追求したい点だけ追求したら、負けセリフはかれて逃げられるし。

 

これだけ痛い目にあっているのに、「自分は感情的になってはいけない、論理的でなければいけない」と思いこんでいました。

ただ最近、心理学やコミュニケーションについて調べて、この考えがひっくり返りました。

 

私も含めて、ぜんぜんみんな論理的じゃない。ただ論理的な「フリ」をしているだけった。

 

他人の意見を聞いたとき、理屈っぽい私はまず「それが論理的に正しいか正しくないか」を考えていました。

そう考えてしまうと、どうしたって穴に気づいてしまうんですよね。

そして「こんな非論理的な意見をいうなんて、なんて頭が悪い人なんだろう」って、相手を心のなかで非難してしまうんです。

 

だから私はまず、その意見が「正しいか正しくないか」ではなく「聞く価値」があるのか考えることにしました。

くわしくいうと、以下の6点に当てはまったら、もう「聞く価値」がない意見と判断し、深く考えずに聞き流すようにしています。

なにかしらの要求であれば、深く考えずに、こちらの事情を説明してことわるようにしています。

 

1、具体的指示がない。

例:「私、あなたのその服装きらーい」

なぜ嫌いなのか、なぜわざわざ口に出したのか説明がない。

また改善するための、具体的な指示がない。

 

2、意見に従うことでうまれる損失に目を向けていない。

例:「私、カーディガン恐怖症で、悪いけど仕事する間はジャケット着てもらっていい?」

着るものを自分だけ制限される精神的負担や、ジャケットを買うことでうまれる損失に目を向けていない。カーディガン恐怖症って、自分で書いててなに?って思った。

 

3、論理や正論でまるめこもうとする。

例:「仕事なんだから、これぐらい我慢しなさいよ」

例:「普通はそうでしょ」

論理は、意見のすり合わせをし、双方の思考や関係性を次の段階にすすませるために活用するもの。相手をねじ伏せるためのものではない。

 

4、こちらの意見を聞いたら怒り出す。否定する。そもそも聞かない。

相手に話しあいたいという意思があっても、その技術と度量が足りてない。

話しあっても、あまりよい終わり方は期待できない。

 

そして何より大切なのは、この2つです。

1つ目は、「自分に他人の意見を聞く余裕があること」。

2つ目は、「自分は、相手とどのような関係性を目指すかということ」。

 

該当する意見を突きつけられたら、脳が認識する前に、対処しましょう。

真面目に考えてはいけません。無責任なその意見は「呪い」となり、頭の中でリピートされ続けます。

 

自己啓発本とかビジネス書なんかには、納得できない意見でも聞けとか、耳に痛い意見でも取りいれろとか書かれていることもありますが。

ネットで他者の意見にさらされ続ける時代。

ある程度自分の安寧を守りつつ、心地よい人間関係を構築するのなら、これぐらい厳しく取捨選択してもよいと思います。